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アフガニスタン 基地

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(Why did the Taliban go to Tehran?), 狭隘なサウジアラビアの信仰に感化(資金援助)されたスンニ派のタリバンは、アフガン国内のシーア派をよく弾圧することで知られてきた(シルクロードの山岳地帯であるアフガンはもともとイスラム信仰が異教的・密教的なスーフィの系統だが、サウジが金の力で変質させた)。スンニ派のタリバンと、シーア派のイランは敵同士のはずだった。しかし今、米国やISISという共通の敵を前に、両者が協調を強めている。この背景には、イランが中国との協力関係を強めていることもある。イランは「アフガニスタンに単独のタリバン政権ができることには反対だが、現政権と連立を組むなら歓迎だ」と、中国主導の和平策を後押しするようなことを言っている。 (The Future of the Taliban) (仕組まれた9・11:なぜアメリカは戦争を企図するか), これは結果的に正しかった。米軍主導のアフガン占領は泥沼化し、占領に参加して派兵した欧州諸国などは、無意味な戦闘で死者を増やし、国内の反戦運動が起こる中、撤退すると担当地域がタリバンに陥落してしまうので撤退すらできず、ひどい目にあった。中国がアフガン派兵していたら、新疆ウイグル自治区のイスラム主義運動が今よりもっとさかんになり、中国の内政混乱の原因となっただろう。04年に11人の中国人技術者がアフガニスタンでタリバンに殺された後、中国はいっそう低姿勢になった。

(As U.S. Exits, China Takes On Afghanistan Role)

How China and Pakistan Are Beating India in the New Great Game, China-led AIIB development bank holds signing ceremony, US, Japan Did Not Expect China-Led AIIB to Resonate With so Many Countries.

(Mes Aynak - Wikipedia) (US, Japan Did Not Expect China-Led AIIB to Resonate With so Many Countries), It will take silky diplomacy to build China's new road - Ahmed Rashid, As U.S. Exits, China Takes On Afghanistan Role, China offers to mediate in stalled Afghan Taliban peace talks, Taliban Denies Reports of Secret Peace Talks in China, Pakistan Discloses Secret Afghan, Taliban Talks, China meet-up : Afghan Taliban dispute Aziz's peace talks claim, Pakistan, Afghan Officials Say Taliban Ready for Peace Talks, Afghan chief executive backs Taliban peace effort 'in coming days', Afghanistan's security on the brink of collapse, Kabul arrests, hands over Chinese Uighurs to aid Taliban dialogue bid, The Pentagon's New Afghanistan Policy - Way More Secrecy, US Quietly Abandons Troop Reduction Plans in Afghanistan, The Real Status of Forces in Afghanistan and Iraq by Ron Paul, White House Claims The Taliban Isn't a Terrorist Group, Kyrgyzstan Truckers Say They're Out Of Work After Manas Closure.

(As U.S. Exits, China Takes On Afghanistan Role)

1995年9月、アフガニスタンの内戦で国土のほとんどを支配していたタリバン勢力が、首都カブールを制圧した。ブルハヌディン・ラバニ大統領は逃亡し、北部だけを支配していた「北部同盟」に参加した。1998年8月、ケニアのナイロビとタンザニアのダルエスサラームのアメリカ大使館がテロ爆弾攻撃を受けて、安全保障理事会は、アフガニスタンに依然としてテロリストがいることに対する懸念を繰り返した。12月、理事会は、国際テロリストとその組織に隠れ場所と訓練を提供することをやめるようタリバンに要求した。タリバンはアフガニスタンの正当な政府であると認められることはなかった。タリバンは理事会の要請に応えなかった。, 1999年10月、理事会は、国連憲章の強制措置規定のもとに、幅広い制裁を実施することに決めた。また、オサマ・ビン・ラディンは大使館爆撃の容疑者としてアメリカが起訴していることに留意し、彼を適切な機関へ引き渡すようタリバンに要求した。, 2001年9月11日、ビン・ラディンのアルカイダ組織のメンバーがアメリカで民間航空機4機をハイジャックし、2機がニューヨーク市の世界貿易センタービルに衝突し、1機は米首都の国防総省に突っ込み、もう1機は、乗客の阻止によってペンシルバニアの平地に墜落した。この攻撃によっておよそ3,000人の人々が犠牲となった。それに続いて、アメリカ政府はタリバンに最終通告を行い、ビン・ラディンを引き渡してアフガニスタンのテロリスト作戦を終わらせるか、大規模な軍事攻撃を受けるか、のいずれかを選択するよう迫った。タリバンは拒否した。10月、米英軍がアフガニスタンのタリバンの軍事目標やビン・ラディンの訓練キャンプにミサイル攻撃を行った。爆撃は2週間にわたって続けられ、その後、米国地上軍の展開となった。安全保障理事会は、タリバン政権を代えようとするアフガニスタン国民の努力を支持した。国連はまた、広く国民を代表する、包摂的な政府の樹立を目指して、アフガニスタン当事者間の対話を進めた。国連がボンで開催したアフガニスタン政治指導者の会合は、12月初めに終わった。会議では恒久的な政府機構が再樹立されるまでの暫定的取り決めについて合意が見られた。第一のステップとして、アフガニスタン暫定政権(Afghan Interim Authority)が設立された。安全保障理事会は、国際治安支援部隊(International Security Assistance Force: ISAF)の設立を承認した。暫定政権を助けて、カブールとその周辺地域の治安維持にあたる。その月の後半、国際的に認められたラバニ大統領の政権は、ハミド・カルザイ議長が率いる新たなアフガニスタン暫定政権へ権限を委譲し、最初のISAF部隊が展開された。, 2002年1月、国際アフガニスタン復興支援会議が開かれ、45億ドルを越す誓約が行われた。安全保障理事会は、タリバン政権の崩壊の結果、アフガニスタン国内に見られる好ましい変化を歓迎した。新しい現実を反映させて制裁を調整し、アルカイダとその支持者を制裁の対象にした。3月、理事会は、事務総長の勧告に従って、国連アフガニスタン支援ミッション(United Nations Assistance Mission in Afghanistan: UNAMA)(https://unama.unmissions.org/)を設立した。UNAMAは、人権や法の支配、ジェンダーの問題など、ボン協定が国連に付託する任務を果たす。団長は事務総長特別代表で、国民和解を促進し、暫定政権とその継承者と調整をはかりながらアフガニスタンの国連人道活動を管理する。, 2002年6月、緊急ロヤ・ジルガ(国民大会議の意味で、伝統的なフォーラム。部族の長老が集まって問題の解決を図る)が、9日間の予定で開催された。大会議は、ザヒル・シャー元アフガニスタン国王によって開会された。元国王は国家の指導者としてハミド・カルザイを指名した。ついでカルザイ氏がアフガニスタンの国家元首に選ばれ、その後2年間にわたって暫定政府を率いることになった。2004年1月、憲法制定ロヤ・ジルガは、アアフガニスタン憲法として採択されたテキストに合意した。その年の10月、800万人以上のアフガニスタン人が投票に行き、アフガニスタン史上初めて選挙による大統領としてハミド・カルザイを選出した。2005年9月、選挙運動中に一連の死者を招くような攻撃があったものの、アフガニスタン国民は国民議会と暫定評議会の選挙を行った。, 2006年1月、ハイレベル・グループ会合がロンドンで開かれ、「アフガニスタン・コンパクト」を発足させた。これは5カ年計画で、民主主義制度を確立するとともに治安の強化を図り、不正な薬物取引を取り締まり、経済を刺激し、法を執行し、アフガニスタン国民へ基礎サービスを提供し、その人権を擁護する。翌月、安全保障理事会は、アフガニスタン政府と国際社会とのパートナーシップのための枠組みを提供するものとして「コンパクト」を全会一致で支持した。2008年6月、コンパクト実施の資金として200億ドルの誓約があった。それには2009年と2010年の選挙の準備に対する支援も含まれた。選挙ではカルザイ大統領が再選された。, 政治的前進が見られたものの、2008年、2009年を通して暴力がエスカレートした。2009年10月にはタリバンがカブールの国連ゲストハウスを攻撃し、5人の外国人国連職員と3人のアフガニスタン人が殺害された。2010年、会議は、治安問題の責任を2011年までにアフガニスタン当局へ移行させる必要を強調した。アフガニスタンの州の管理を2014年までにISAFから国家治安部隊へ移行させることについて話し合った。会議ではまた、良い統治、司法システムの公平、人権、それに薬物の取引がもたらす長年の問題も取り上げられた。, 2011年9月20日、ラバニ元大統領が自爆テロによって殺害された。ラバニ氏の死亡は、以前の北部同盟の参加者もしくはそれに近い要人に対する一連の暗殺行為の頂点に立つもので、政治的な内部工作を強化する一方で、様々な勢力と民族集団との間の信頼を弱めることになった。2012年10月、ブリュッセルで開かれた北大西洋条約機構(NATO)国防会議で、ISAFは2014年以後の訓練を計画するようにとの指示を受けた。11月15日、アフガニスタンとアメリカは、戦略的パートナーシップ協定の線に沿って二国間の安全保障協定に関する交渉を発足させた。2013年3月、安全保障理事会は、治安、統治、司法、経済社会開発、それに国家薬物統制戦略の実施も含むアフガニスタンの「国家優先プログラム」を支援するよう国連に要請した。, 2014年4月5日の大統領選挙と県会議員選挙には、タリバンやその他の過激主義者、テログループの脅威や脅迫にもかかわらず記録的な数のアフガニスタン人が参加した。理事会は、新しいアフガニスタン大統領としてアシュラフ・ガーニの9月29日付け就任を歓迎した。それはまた、アフガニスタン史上初めての権限の民主的移行を示すものであった。, 2014年12月、理事会は、2014年後の「確固たる支援ミッション(Resolute Support Mission)」を創設するアフガニスタンと北大西洋条約機構(NATO)との合意を歓迎した。これは12月28日に任務を完了する国際治安支援部隊(ISAF)に続く任務である。2015年6月、全閣僚の任命によって政治的進歩が達成されたものの、外国のテロリストがアフガニスタンへ浸透し続けていることから治安情勢が課題として残った。2015年、UNODC(国連薬物犯罪事務所)事務局長は、アフガニスタンの違法薬物が不安定、反政府活動、腐敗、組織犯罪を支えているとともに、国家機関や平和と良い統治を進めるアフガニスタンの全体的な能力を弱めている、と強調した。麻薬対策は続けられた。, 2016年9月14日、理事会は、アフガニスタンを援助するために一般市民の支援や開発援助を続けるよう国際社会に要請した。, アフガニスタンの治安情勢は不安定であった。UNAMAの長は、2013年に、アフガニスタンの治安部隊の能力は強化されつつあるが、必要な能力を取得するには、少なくとも今後5年間は国際支援が必要であると理事会に伝えた。2014年、2015年、2016年とテロ攻撃が続いた。2016年4月19日にはカブールでタリバンによるテロ攻撃があり、28人が死亡、300人以上の人々が負傷した。2017年1月、理事会はカブール、ヘルマンド、カンダハルでの攻撃を非難した。これらの攻撃によって161人の人々が殺され、負傷した。3月、理事会は決議2344(2017)を採択してUNAMA の任務を2018年3月まで延長した。, 国連は、史上最悪のグローバルな健康危機を含め、大きな試練の時に創設75周年を迎えます。この危機は世界をより緊密に結びつけるでしょうか?あるいは分断と不信の増大につながるのでしょうか? あなたの意見によって変化をもたらすことができます。, 国連の取り組み:平和維持活動における 性的搾取・虐待を防ぐために(ファクトシート 2015年9月), ACTION FOR DISARMAMENT -軍縮のためのアクション: あなたにもできる10のこと. (台頭する中国の内と外), 米国は中国を非難するが、13年の米中対話で中国のアフガン戦略を「米中協力の新たなモデル」と賞賛している。このことは、非常に興味深い分析に結びつく。米軍は、撤退予定日の昨年末以降も、アフガニスタンに1万人の駐留枠を持っている。1万人の米兵が駐留しているのでなく10年間の駐留枠だけであり、何人駐留しているかは機密だ。米国の反戦運動家たちは「米軍はまだ10年間、1万人をアフガン駐留し続ける。けしからん」と言っている。駐留の実数は数百人とか非常に少ないだろう。「米軍1万人駐留の10年延長」という好戦的なイメージのみが流布している。 (How China and Pakistan Are Beating India in the New Great Game), 中国は最近、AIIBの出資比率を発表した。インドは、中国に次ぐ2番目の大きな発言権を与えられた(出資比率7%)。中国がインドに配慮していることがうかがえる。

アフガニスタンに米軍基地なんかができたらもう、ソ連の横っ腹にナイフが突き立てられたようなものです。 アフガニスタンに米軍基地ができればアメリカのミサイルや核兵器が当然持ち込まれま、その近さからソ連全土がミサイルの攻撃範囲になるわけです。

(China's Afghanistan Moment)

(Transit Center at Manas From Wikipedia), マナス飛行場は、中国国境から250キロしか離れていない。米国が本気で「中国包囲網」策を持っているなら、マナス基地の租借をやめて撤退するのはおかしい。米国は、南シナ海など太平洋側ではさかんに「中国包囲網」の強化を演じるが、反対側の中央アジアでは包囲網を維持する気がない。

(アメリカが描く「第2冷戦」) 中国がパキスタンに働きかけ、アフガニスタンの政府と、最大の反政府武装勢力であるタリバンとの対立を解消すべく、和平交渉を手がけている。5月下旬、中国の新疆ウイグル自治区の省都ウルムチで中国当局の同席のもと、タリバンの代表3人と、アフガン政府の国防相(Masoom Stanekzai)、パキスタン政府の外交顧問(Sartaj Aziz)らが話し合いを行った。中国政府はそれ以前にも、タリバンやアフガン政府の代表をウルムチや北京に、今年2月など3回にわたって招待し、話し合いを行ってきた。中国はこの件で前面に出るのを避ける策をとり、交渉の仲裁役は中国でなくパキスタンだ。しかし、タリバンやアフガン政府は、パキスタンのうしろに中国がいるから交渉に参加している。財政が破綻しているパキスタンは、経済面で中国に頼っている。 (White House Claims The Taliban Isn't a Terrorist Group), 米国は、アフガン永久占領の好戦的イメージだけを醸しつつ、実のところ、仇敵のはずの中国にアフガン運営を任せている。中国は、自分たちがアフガニスタンを影響下に入れて運営し始めていることをできるだけ隠し、好戦的な米国のアフガン支配が続いている印象の維持に貢献している。これは偶然の産物でなく、米中対話で双方が「米中関係の新たなモデル」として定めたことだ。米中は、米国覇権の好戦的な世界支配がまだまだ続くかのような事態を演じつつ、裏でアフガニスタンの覇権をこっそり米国から中国に移している。米中は、こうした隠然とした覇権の多極化が「米中関係の新たなモデル」であると合意している。 (日本がよみがえらせたアフガンの村)

(アフガニスタン紀行)

Afghanistan: A Platform for Cooperation between India and China? Nobel laureate Aung San Suu Kyi makes awkward visit to China, US Claims Iran Has Started Backing Taliban. (ドイツ・後悔のアフガン)

(立ち上がる上海協力機構), 世界各地の鉱物資源の利権を買い取る中国を「資源略奪」と非難する声を、中国敵視のマスコミでよく見かける。アフガン銅鉱山の話はその一つだ。しかし、自作自演的な911テロ事件を理由に、911に直接関係ないアフガニスタン(やイラク)に侵攻して13年も占領するという国際法違反そのものの行為をやった(のに懲罰されない)米国に比べると、中国ははるかに合法的・平和的・合理的だ。米欧はアフガン占領したのに、米欧企業はどこもアイナク銅鉱山の採掘権を買わなかった。米欧勢が買わないので中国が買っただけだ(イラクやアフリカの油田も同様だ)。中国を「資源略奪」と非難するのは、多くの場合、敵視策に基づく濡れ衣だ。 (難民都市ペシャワール), 米国はアフガン侵攻でタリバンを蹴散らした後、ハミド・カルザイを大統領とする傀儡政権を樹立し、米軍撤退完了3カ月前の2014年9月までカルザイ政権が続いた。この間、タリバンは米軍に封じ込められていた。14年6月の大統領選挙後、2人の候補が自分こそ勝者だと主張して譲らず3カ月もめた後(この混乱は撤退後のアフガン政府を弱体化させておくための米国の策かも)、アシュラフ・ガニを大統領とする新政権に移行した。この後、中国が黒幕、パキスタンが仲裁役となって、タリバンとアフガン政府を和解させる努力が始まった。大統領就任後、ガニの初の外遊先は中国だった。 (China's Afghanistan Moment) (世界に試練を与える米国), 中国の南隣のミャンマーからは6月初め、ノーベル平和賞受賞の野党指導者アウンサン・スーチーが、中国を訪問した。ミャンマーでは今年11月に大統領選挙があり、スーチーも立候補を希望してきたが(ミャンマー議会に阻止されそう)、軍事政権とスーチーのどちらが勝っても、中国がミャンマーにとって最重要の国である状況を示している。スーチーの訪中について、米政府はほとんど何も言っていない。この件も、米国の中国包囲網が太平洋側だけの(日本と東南アジアを踊らせるための)「見せ物」であることを示している。

(アフガニスタンのサムライ), タリバンは、アフガン人の多数派であるパシュトン族の民族主義とナショナリズムを掲げた組織であり、武装勢力だけでなく、政治政党としても機能できる。レバノンで、テロリスト扱いされる武装勢力だったシーア派のヒズボラが、イスラエルとの戦争に耐えて強くなるとともに政党部門を広げ、今やレバノン政界を牛耳っている先例がある。タリバンの最終目的が、戦闘の勝利を超えた、アフガン人もしくはパシュトン族の安定や発展にあるとしたら、現政府を倒すために自国を内戦に引き戻すより、現政府と連立政権を組む方を選ぶはずだ。「武力によるアフガニスタンの民主化、安定化」を掲げて01年に侵攻してきた米国と対照的に、昨年来、内戦終結交渉を手がける中国は、武力を全く使わず、外交と経済(投資)だけを手段としてアフガニスタンを安定させることをめざしている。中国軍はアフガニスタンに駐留したことがない。 (China meet-up : Afghan Taliban dispute Aziz's peace talks claim), 冷戦時代から内戦が続くアフガニスタンの東部地域の住民の多くは、隣国パキスタンで難民として暮らしてきた。90年代半ば、パキスタン軍の諜報機関がアフガン難民を訓練し、アフガニスタンに侵攻して祖国を統一させるために作ったのがタリバンだ。タリバンは96年にアフガン全土をほぼ制圧して政権を樹立した。タリバンは、アフガン人の過半数を占めるパシュトン族を代表する組織なので、タリバン政権は民族自決や民主主義の見地からも正当性を持ち得る政権だった。だがタリバンは、オサマ・ビンラディンをかくまった罪で01年の911事件直後に米国から侵攻を受けて政権を放棄し、それ以来反政府勢力としてゲリラ活動を続けている。

(Afghanistan's security on the brink of collapse), アフガン政府軍は、やる気と財政が不足している。それは、中国政府系の研究者も公言している。カブールで最も警戒が厳しいはずの国会議事堂にやすやすと突入できるのだから、タリバンがその気になれば、カブールを奪還するか、少なくともアフガン全土を内戦に陥らせることが可能だ。しかしそれをやると、アフガニスタンに駐留枠を残したまま撤退した米軍が、大挙して戻ってきて、再びタリバンを蹴散らすかもしれない。それよりも、中国の説得に乗って和解交渉に参加し、アフガン政府との連立政権を組み、軍事でなく政治的なやり方で政権を取った方が得策かもしれない。タリバンはそんな風に考えて、一方で戦闘を続行して軍事的な強さを誇示しつつ、他方で中国とパキスタンが仲裁する和平交渉に参加している。 (Pakistan Discloses Secret Afghan, Taliban Talks)

(Taliban Denies Reports of Secret Peace Talks in China)

ソ連がアフガニスタンに侵攻した理由を見る前にアフガニスタンはどこに位置しているのかを確認しようと思います! アフガニスタンがどんな場所にあるかを把握しておくだけでもソ連がアフガニスタンに侵攻した理由をより把握しやすくなるでしょう。 さて当のアフガニスタンは中央アジアに位置しています。 日本人は普通でしたら気にも留めないですよね。 地図に赤線が引いているところが、アフガニスタン! ~スタンっていう国が周りに多い!っていうのが率直な感想。この「スタン」は「国、地域」 … (Afghanistan still without government), タリバンは、米軍より弱いが、アフガン各地の他の武装勢力より強い。米軍統治下でさえ、首都カブールを一歩出ると、夜間はタリバンの支配下になる地域が多かった。だからタリバンは、米軍撤退後、米国が据えたアフガン政府を武力で倒して政権を奪還するつもりだった。それに待ったをかけたのが中国だった。アフガニスタンは山岳地帯が多いので冬は雪に閉ざされて戦闘できず、毎年春から秋までが戦闘の季節だ。中国とパキスタンは、冬の間にタリバンとアフガン政府を和解させたかったが、まず軍事的な強さを見せつけたいタリバンは、交渉に出たものの進捗を拒んだ。

(中国包囲網の虚実) (アフガン撤退に向かうNATO), 中国がアフガニスタンに対して積極姿勢に転じたのは、米欧によるアフガン占領の失敗感が強まった後の07年末、中国国営企業(MCC)が、世界最大級の埋蔵量を持つとされるほとんど未採掘のアイナク銅鉱山(メスアイナク)の採掘権を30億ドル以上で買い、アフガン最大の投資者になってからだ。鉱山はタリバン支配が強い東部の山岳地帯にあり、まだほとんど調査もしていない。アイナクは古代からの鉱山で、仏教寺院遺跡があり、中国の銅採掘によって遺跡が破壊されると中国敵視派が騒いでいる。

(中華文明と欧米文明は衝突するか), 2010-11年にオバマ政権が行った米軍アフガン増派が失敗に終わり、米国がアフガン撤退の意志を固める中、12年にカルザイ大統領が上海協力機構のサミットに初出席し、中国主導、中露と中央アジア諸国によるユーラシアの安保機構である上海機構に加盟する道が開けた。中国とパキスタン、アフガニスタンによる、アフガン安定化のための3カ国の協議も定例化した。これを見て米国のタカ派は、中国が米軍撤退後のアフガニスタンを取り込むと懸念し始めたが、米オバマ政権は、13年の定例の米中戦略対話で、中国がアフガン安定化に貢献することを歓迎し、アフガニスタンは「未来に向けた米中の大国間関係の新たな具体例」(未来中美新型大国関系建設的具体領域)であると米中間で定めた。治安状態が依然として悪い中、中国は、アフガニスタンの道路や通信インフラの建設に投資したり、アフガンから輸入する品目の6割を非関税にするなど、投資や貿易を地道に増やし続けている。

(ヒズボラの勝利), 中国がアフガニスタンに全く派兵していない理由の一つは、911事件を機に米国が始めた「テロ戦争」が、いずれ中国も標的にするのでないかと中国が懸念したからだった。911の数カ月前、米ブッシュ政権は、米軍の偵察機を中国の沿岸に接近させ、中国の戦闘機と接触して中国領内に不時着する「海南島事件」を起こし、米中関係を悪化させた。米国のテロ戦争の「台本」と目されるハンチントンの本「文明の衝突」には、米国がイスラム世界と対立した後、中国とも対立するシナリオが書かれている。中国は、米国のアフガン侵攻を傍観するだけで、できるだけ関与しないようにした。米国はアフガン侵攻後、中国にも、国際的なアフガン占領軍(ISAF)に参加しないかと打診したが、中国はかたくなに断った。

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